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京阪電鉄萱島駅 (萱島の大楠) |
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萱島の開発の歴史は、江戸中期始まる。享保7年(1720)の「川面新開の奨励」を受け先人達は競って水田開発を盛んに行うが、幾度も洪水に見舞われるなど難工事を極め、ようやく元文3年(1738)長島七郎衛門にて完成を見る。天保郷帳には「萱島新田」と記され石高71石。 その後、安政2年(1773)には大坂布屋が再び開発に着手し天明年間完成。地割は「い」から「れ」の17区画であった。「い」の割に会所が置かれ、宝受大神菅原道真と開発者布屋善右衛門を祀る社を設けた。この社の境内には楠の大木があった、「萱島の大楠」である。 この萱島は明治43年(1910)には京阪電鉄萱島駅が建設され、さらには昭和30年代から京阪沿線のベッドタウンとして住宅が建ち始め都市化が興る。やがて人口急増と共に昭和47年には輸送力拡大の必要性から、京阪電鉄の高架複々線工事計画が起こり、事業用地に大楠がかかることになるが、地元の熱意と京阪電鉄の英断により、今も大楠は現在萱島駅のホームを突き抜け、屋根を越えて悠々とそびえたつ姿を見せる。 「萱島の楠の木」は樹齢役700年、高さは20mにも及ぶ、自分の成長と共に目線を変えながら、周辺の水辺の共に都市景観を造り、まちの歴史を見てきた楠の木も、今後は更に高い目線で再生の時期を向かえた萱島を見守り続けていくのであろう。 (取材協力 京阪電気鉄道株式会社)
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