都市のアメニティ
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  まちの晴れる日
大阪大学名誉教授 帝塚山大学教授 紙野桂人
 
 
ロンドンビジネス街公園
ロンドン・ビジネス街公園のランチタイム

NYセントラルパーク
ニューヨーク・セントラルパークの日曜日

パリリュクサンブール公園
パリ・リュクサンブール公園

晴れた日の都市の表情は、市民の生活の文化と深く結びついていると私は思う。 もちろん雨の日にもそれはあるが、「巷に雨の降るごとく」と詠んだ詩人の心に代表されるように、雨にまつわる叙情が強く感じられて、一定のベールに包まれるものである。その点晴れた日には、市民の行動は積極的になり、赤裸々になり、都市が人によって動く、あるいは顔を輝かせるように思えるのである。
 わが国の都市のとりわけ集合住宅が立ちならぶまちでは、この日を待ちかねたように陽あたりの良いバルコニーは物干し場になる。高架で走る電車の窓から見るその風景は、これがわが国の都市の顔の輝かせ方なのだと主張していると思わせる迫力がある。それは世界の他の国では決して一般的でない語り口である。欧米の都市では、晴雨に関らず集合住宅の窓やバルコニーの風情はあまり変らない。窓辺に飾られた花や緑の輝きは変るけれども。
 一年中の日照時間と紫外線量がわが国ほど多くない西欧の都市あるいは北米の都市では、まちの晴れた日の過ごし方について、 市民は、太陽の輝きを少しでも多く部屋の中に受け入れたいと思っていると同時に、自分自身は陽当たりの良い戸外に出て、陽を浴びながらゆったりとした時間を楽しみたいと強く思っている。それに答えてくれるのが都市の公園であり、わが家のバルコニーや屋上であり、庭である。それはひとつの都市文化を形造る。
 私は旅の途上でこの晴れる日の都市の表情を幾度となく眼にして来た。それを少し紹介しておこう。
 ロンドンの夏のあるウィークデイに、テムズ河畔のエンバンクメント駅附近を歩いていて丁度ランチタイムにかかった時、河岸に沿った公園で出会ったのは、附近に働く男女の休憩時間の過ごし方であった。その日は良く晴れていたが、ただ黙々とベンチや芝生に体を休めて陽を浴びる人々の列が続くのであった。その生まじめさは印象的だった。
 変ってニューヨークの晴れた日曜日にセントラルパークを散歩しつつ、ザ・シープメドウの広大な芝生で日光浴をする市民の大群に圧倒された。さながら海辺の砂浜で過ごすかのような開放的なその風景は壮観であると共に、都市の自由な過ごし方、個人の空間と公共の空間の隔たりのない出会い方のアメニティを強く感じさせてくれた。
 パリの良く晴れた秋の一日、サンジエルマンにあるリュクサンブール公園で、市民の時の過ごし方を垣間見た。ここでも人々は日当りを求めて場所を選び、なにするでもなく温かい空気に触れ、歩く人々の姿に眼を向けたりして時を過ごすのであった。しかしその様子は、それぞれに自分のコスチュームの装い、自分の雰囲気を人に感じさせる何かを演じており、それが絵になりうるのであった。
 さて、都市の晴れる日に私たちは、何をもってアメニティを語ろうとしているのであろうか。


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