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大阪府都市整備推進センターは大阪府内で41箇所の駐車場を運営しています。 このコーナーでは駐車場とその周辺の街にスポットをあて、紹介します。 |
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天満八軒屋駐車場 | ||||
天満八軒家駐車場は、当センターの前身である(財)大阪府有料道路協会の駐車場事業第1号として、昭和46年7月1日にスタートを切り、大川左岸で収容台数145台をほこる当センター駐車場の「顔」でもあります。、今回は、この何とも珍しい地名「八軒家」の云われ・歴史について、文献を調査することとしました。 8世紀から12世紀ごろの書物によると、この地域には難波橋、大江橋、渡辺橋なる橋があったそうですが、これらは、現在の天神橋と天満橋の間にあった同一の橋だったということであり、大江の岸、渡辺の岸と呼ばれたこの地域は別名桜の岸、八軒家とも呼ばれていたようです。 桜の岸と呼ばれたのは、この地が熊野街道の起点であり駅楼がおかれていたため生まれた俗称であり、八軒家は天神橋と天満橋との間の南岸のことで、伏見・大阪間の三十石船が発着した船着場であったとのことです。淀川や寝屋川の岸には犬走りがついていて船曳人足が曳船もしており、大阪、伏見には船宿が出来て、上下に応じて来客の便をはかっており、大阪の船宿は8軒あり、そのため「八軒家」の地名が生じ、大阪の表玄関として大いに賑わったところであったそうです。 明治5年11月の郵便馬車開通までは伏見−八軒家間の郵便物は郵便船が運送しており、明治9年京都−大阪間の鉄道開通により乗客をうばわれたものの、日露戦争までは外輪蒸汽船が水車のような外輪でバタバタと水しぶきをあげ旅客運送をつづけていたようです。ただ淀川は水深が浅いために、外輪によって航行せねばならず、この蒸汽船では伏見−八軒家間を上り6時間、下り3時間半という長時間を要したため、明治43年に京阪電鉄が開通すると汽船は急速に衰えをみせ、船宿もなくなっていったようです。
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