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変わりゆくまち、豊中市庄内地域野田地区
密集市街地における土地区画整理事業と住宅再建の手法とこれから

 広い道路と公園用地、きれいに区画整理された土地には共同住宅、長屋、戸建住宅が並んでいます。今ここ豊中市野田地区を歩いても、以前のまちの姿は想像できません。大阪市から淀川を隔ててすぐ北側に位置する利便性ゆえに起こった高度経済成長期の急激な市街化、大阪国際空港への進入路直下という立地から移転補償による虫食い状の空地化、そしてまちの再整備。大阪の木造密集市街地の代名詞とも言える豊中市庄内地区北部に位置する野田地区では、地元・行政・当センターを含む専門家集団とが一体となって事業化にこぎつけ、土地区画整備事業をはじめとした様々な手法を駆使しながらの整備がほぼ終わろうとしています。
 密集市街地においては今後とも、面整備事業の推進が望まれますが、野田地区での紆余曲折の経緯や、地元と行政等との二人三脚による「知恵の出し方」「取り組み方」は、これからの面整備を推進する上でのひとつの大きな指針(足跡)となるものです。
 まずは市の立場で事業に携わってこられた野村所長にお話を伺いました。

野田地区整備事務所長 野村晴夫氏
豊中市庄内再開発課主幹兼
野田地区整備事務所長
 野村晴夫氏

 平成6年12月の土地区画整理事業の都市計画決定において、一部の地元権利者から反対意見が出された野田地区も、平成16年度を目途にほぼ整備完了が見えてきました。
 豊中市の庄内地域は、昭和48年から基本計画いわゆる防災避難緑道と広場の庄内住環境整備構想により安全なまちづくりという視点で、まち全体の過密解消をめざした整備を進めていました。その中で重点的位置付けではなかった野田地区がクローズアップされたのは、大阪国際空港の騒音対策での国による移転補償で過密状態のまちが急激に過疎になり、野田を含める7地区で大阪国際空港周辺地区整備計画を作ったというのが発端でした。また、穂積菰江線の整備を進めたいという事情など様々な要因が重なり、行政的にも手をつけやすかったことから整備が始まりました。
 都市計画決定当時、事業に反対する、戸建、長屋の一部の権利者から反対期成同盟「野田まちづくりを考える会」ができました。反対が強かった中、まだできていなかった戸建と長屋の建替え組織を作るための準備委員にその反対組織のリーダーにも加わっていただき、同じ土俵に立って話をし、常にガラス張りの中で議論を進めたのです。建替え組織ができた後は、きっちり市の意見を伝えつつ、住民の意見を反映しながらの事業でした。
 土地区画整理事業の都市計画決定の翌月、平成7年1月に阪神淡路大震災がおこり、全壊はなかったものの野田地区も102棟のうち37棟が半壊という大きな被害を受けました。平成9年度までは仮設住宅が北側の公園用地に建っており、その間は、共同住宅と長屋の整備方針や、共同住宅の二重壁採用などの、地元に提案できる要件整理や、事業の進め方の骨格作りなどの時期となりました。震災は住民の事業化を望む声を強くし、行政としても、穂積菰江線、三国塚口線を防災ラインで整備するための用地買収スタッフをはじめ、庄内再開発スタッフが大幅に増員されるなど、様々な状況が重なり、事業を推進する力となりました。もしも、この事業のスタートが4〜5年遅れていたら、財政事情などもあり、事業は完成していなかったかもしれません。
 事業推進の大きなポイントである住民の事業参画への意志形成上でひとつの大きな問題は、多くの住民が高齢であったこと、自己資金のことでした。住宅は被災もあり状態が悪く、事業の進捗を願う声が多かったのですが、貸家、長屋、共同、戸建いずれでも、「補償金額・新しい建物の費用・それに伴う自己負担額がどうなのか」、それらが「住民にとって実現可能かどうか」が、事業参画の判断材料でした。特に狭小敷地の権利者は、売却という選択もある中で、長屋での建替え、共同住宅の床の取得、何が有利なのか最後まで決めなかったケースもありました。
 この事業は、住民の住環境の改善を市がサポートしているという意識を持っていただくのが一番難しいことでした。役員の選任から携わっていたこともあり、市ができること、できないことをきっちり言うのは難しかったのです。してあげたくても、市としてはできないということを言い、非常に冷たい鬼に思われても、住民と対峙し、戦法としての先鋒隊となり先に打たれたり、こちらから鉄砲をうったり、というのを無我夢中にやってきました。当時はなんとしてでも事業を進めるという気持ちで人が集まり活力が出て、前進のための方策を編み出しながら一歩ずつ進んできました。そこには人のまとまりがあり、苦労と喜びは表裏一体でした。
 野田は面的事業で最後の大きな事業でしょう。今後、豊中市としてできるのは、穂積菰江線、三国塚口線の整備、庄内の駅前の面的整備。防災環境軸については整備可能でしょうが、面的整備として野田のような取組みはできないでしょう。将来的には、骨格の防災環境軸は行政、それ以外は民活で民間自らの財産を守るためにまちづくりをしていくという方向に意識を変えていく必要があります。特に豊中市全体でいえば、他にもまちづくりの課題はたくさんあり、今、目は庄内から千里などに向いています。木造密集市街地の住環境整備も、今までのような方策だけでなく、もう少し違ったことをしていかないといけないのです。

聞き手・文 吉川玲子


 
平成6年12月 野田土地区画整理事業の都市計画決定
平成8年6月 野田土地区画整理事業の事業計画決定
平成8年7月 密集住宅市街地整備促進事業 事業計画大臣報告
平成8年7月 防火地域の指定
平成10年8月 市街地再開発事業・高度利用地区の都市計画決定
平成10年12月 野田共同街区市街地再開発組合設立認可・総会
平成12年1月 再開発施設建築物着工
平成12年12月 長屋(11街区)着工
平成13年8月 長屋(11街区)竣工
平成13年6月 長屋(6街区)着工
平成13年9月 再開発施設建築物竣工
平成14年1月 長屋(6街区)竣工
平成14年11月 野田共同街区市街地再開発組合解散
平成14年12月 コミュニティ住宅着工
平成16年8月 コミュニティ住宅竣工(予定)
平成17年3月 換地処分・登記(予定)

   
野田地区の変遷
 
   

野田地区(約5.6ha)は昭和40年代に零細な敷地規模の建売住宅や文化住宅が密集した地区である。大阪空港への航空機の進入路直下にあることから、航空機騒音防止法第2種区域の指定(昭和49年)により、運輸省による移転補償が開始され虫食い状に空地化が進んだ

 

昭和30年代前半
昭和30年代前半


昭和40年代前半 (木造密集状態)
昭和40年代前半 (木造密集状態)

平成7年(阪神淡路大震災直後)
平成7年(阪神淡路大震災直後)

平成15年
平成15年


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変わりゆくまち、豊中市庄内地域野田地区
密集市街地における土地区画整理事業と住宅再建の手法とこれから
木造密集市街地での住宅再建

 大阪府には、改善すべき木造密集市街地が多く存在し、これまでにも、地区に応じた様々な手法を工夫しながら整備を行ってきています。主な事業は表―1のように大きくその手法が分類され、その中でも、今回の特集に取り上げた豊中市庄内地域の野田地区は、約5.6haという大きな地区を密集住宅市街地整備促進事業、土地区画整理事業、その他様々な手法を組合せながら総合的に整備してきました。
 既成市街地における面整備事業の実施については、持家・貸家・戸建・長屋建て等々の多様な権利関係・住宅形式により、「現に生活が営まれて」いる中で「いかに現居住者の住宅の再建を図るか」が、大きなテーマ(必須条件)となります。野田地区では、当初区画整理事業に消極的であった地元も、住宅形式の希望別に建替準備組合を設立し、住戸計画・資金計画の両面から、達成しようとする目標を定め、事業を推進してきました。ここでは当時当センターの前身である、大阪府まちづくり推進機構の専門役として事業にたずさわられた森田氏にその事業進捗に関わる経緯や課題、解決方法をまとめていただきました。

表-1
区画整理地区
全体の住宅整備
多様な住宅整備手法 野田地区(豊中市)
事業組合方式 末広南地区(門真市)
石原東・幸福北地区(門真市)
種地活用 面的共同建替手法 二葉町・大島町地区(豊中市)
密集地の大規模空閑地整備との連携 萱島東地区(寝屋川市)
特に密集した
地区の
住宅面的整備
建替えの連坦化 東大利地区(寝屋川市)
松屋町地区(寝屋川市)
事業組合 東湊2丁目西街区(堺市)
公共団体 大黒町2丁目地区(豊中市)

住宅再建への経緯

大阪府建築都市部都市整備推進課 総括主査 森田昭彦氏
大阪府建築都市部都市整備推進課
      総括主査 森田昭彦氏

 持家再建の最大の課題は、零細長屋敷地(従前平均敷地面積約35m2、平均床面積45〜50m2、建ぺい率約80%)の再建。地権者の最大の関心事は現状の床面積確保と建替え資金とのバランスでした。当初、等価交換の共同化による住宅再建と土地区画整理事業を主に検討していましたが、接地型を希望する地権者の理解が得られず、土地区画整理事業の進捗が停滞した時期がありました。
 そのため、零細敷地の地権者に対して、住宅形式の選択希望が可能となるように、長屋建替えでは「ほぼ現状の敷地面積でほぼ現状の床面積の確保」、共同建替えでは「追金なしでほぼ現状の床面横の確保」を目標として検討することとなったのでした。
 文化住宅等の地家主については、貸家建替え準備組合を設立し、共同化に関する低利融資制度・共同化補助金、借上げ制度等の勉強会を行い、共同化の推進を図っていきました。
 また、借家人への対応としては、高齢者が多いという借家人の世帯属性等から、受皿住宅として、密集住宅市街地整備促進事業によるコミュニティ住宅の地区内建設を行いました。
 土地区画整理事業の都市計画決定時には、住宅再建策が具体にイメージ出来なかったなどの理由により意見書の提出もありましたが、その後土地区画整理の事業計画決定までの間に、上記の住宅再建等についての準備組合設立を目指し勉強会を重ねました。この事業計画決定前後が土地区画整理(土地)そのものから「これなら区画整理に参加しても住める」という、住宅再建(上物と生活)という視点での地元協議(まちづくり)ヘの転換期になったと言えるでしょう。

建替え方式別の課題とその対応策

長屋建替え
タウンハウス管理組合は国土交通大臣表彰を受けました

1. 長屋建替え
 零細な敷地面積で現状床面積の確保、さらに増床した住宅の再建が可能かという物理的条件が最も大きな課題でした。現状床面積確保は、通常の仮換地と建築基準法の建ぺい率60%では不可能です。その解決策として、
 まず、一次避難地周辺の安全性確保を図るため、野田地区全域に防火地域指定、耐火建築物で再建することを前提とし、建ぺい率は+10%になります。次に、長屋1棟の戸数を3〜4戸以下で計画、敷地が2方向道路接道かつ200m2以下となるよう街区設計を行う事で、角地緩和10%を適用、建ぺい率は最大80%まで可能となりました(実際の設計ではほぼ建ぺい率70%で、前面道路から外壁の後退距離50cmを確保しています)。
 次に換地割り込みと住宅タイプの多様化との整合ですが、仮換地指定前に長屋1棟の地権者組合せを確定しておく必要があり、グルーピング(換地割り込み)の基本原則を次のように定めました。
1)住戸位置(端・角・中)は従前従後とも同一とします。
2)最小住戸タイプ(住宅床面積2階建て44m2・3階建て56m2)の建設も困難な仮換地予定地積の地権者には、その必要最小敷地面積となるように付け保留地を行い、住宅再建が可能となるようにします。ただし従前角または端住戸であっても、この場合は中住戸とします(1)
の適用除外)。
3)階数はできる限り棟単位で統一します。
 この3つの基本原則に則った仮換地先及び予定地積案の説明とともに、希望別モデルプランに対応した概算追加資金を示し、地権者意向を把握しながら、住宅タイプの確定と仮換地に関する合意形成がなされました。※1

共同建替え
再開発組合も国土交通大臣表彰を受けました

2. 共同建替え
 共同建替えを選択した地権者は、大きく三つのタイプに分かれます。
1)〔積極的参加タイプ〕長屋・戸建て建替えでの再建可能床面積を越えての住宅規模拡大等(追金可能な者)
2)〔消極的参加タイプ〕高齢等による追金困難、長屋建替え断念による追金なし現状床面積確保
3)〔貸家経営者の再経営〕
 ここで最も問題となるのはAのタイプでした。当初は、地権者が土地権利額と建物補償を原資とする任意の等価交換事業の検討をしていましたが「事業化の担保」等を図るため、大阪府住宅供給公社の参画による第1種組合施行市街地再開発事業となりました。※2

 

3. 貸家建替え
 比較的大きな土地所有者がいるものの、文化住宅1棟や長屋1戸ないし数戸所有者等の零細経営者も多いことから、貸家建替えでの敷地面積別の対応を零細敷地は再開発事業での床取得あるいは長屋建替えへ。100m2以上200m2未満は共同建替えへ。200m2以上は協調による個別建替えとしました。
 貸家の協調・共同化への誘導条件として活用できた制度は、密集住宅市街地整備促進事業による協調・共同建替え補助金(共同施設整備費等)と、大阪府特定賃貸住宅建設資金融資あっせん制度の密集地区共同建替え分(府独自利子補給による当初5年間1%の低利融資)との組合せでした。
 また、協調建替えを希望する者について、仮換地が二人以上連担して敷地面積300m2以上となるように検討したのち、最適な地権者の組合せを提案しましたが、その際、仮換地先の合理性及び建替えモデルプランを同時に説明しました。

 

4. 戸建て建替え
 敷地面積が65m2(市建築指導基準)を下回る仮換地予定地積の戸建て建替え希望者14名は、長屋建替え、もしくは持家の共同建替え(市街地再開発事業)ヘの誘導を図りましたが、1名が長屋建替えに参加したのみでした。
 地権者の土地区画整理に対する思考の流れは「これなら住める住宅、住める住宅なら区画整理も認められる」というもので、このことは多様な住宅再建方策の提案に結びつき、その結果、土地区画整理事業の成否につながっています。計画論としては零細地権者の住宅再建はマンションタイプの共同化が望ましいのですが、現場では地権者にとって選択肢の多い提案が不可欠であり、それを実現するために各種の手法を組み合わせることになります。これなくして合意形成はありえず、計画論と、事業を進捗させる具体の方法論を繁ぐ検討の繰り返しが求められた事業でした。

昭和30年代後半の長屋の様子
昭和30年代後半の長屋の様子
※ 1 大阪のまちづくり第2号に掲載
※ 2 大阪のまちづくり第3号に掲載


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変わりゆくまち、豊中市庄内地域野田地区
密集市街地における土地区画整理事業と住宅再建の手法とこれから
現行制度活用による整備の可能性について

ここでは野田地区事業化段階では未制定の手法で、当該地区と同様な市街地整備で今後活用が考えられる手法を示します。

1. 土地区画整理事業「高度利用推進区制度」、防災街区整備事業
 野田地区においては、土地区画整理事業と市街地再開発事業(組合施行)の同時施行による土地の高度利用共同化と、連棟建て(任意組合)による共同化がなされました。今後の市街地整備においては、次の新たな制度化による手法の選択肢が増加しています。
1)土地区画整理事業「高度利用推進区制度」は換地特例制度として共同化敷地の集約化が担保されます。従来は共同 化敷地(市街地再開発事業等)の集約に関して、イ)換地の照応の原則 ロ)照応の原則によらない場合の全員同意等の課題がありましたが、「高度利用 推進区」の換地特例制度により柔軟な対処が可能になっています。
2)「防災街区整備事業」は、今般の密集法の改正により成立した面整備事業手法で、床への権利変換〈共同利用区施設建築物〉と、土地への権利変換(個別利用区)を一の事業手法で行えるものです。
3)留意すべき課題
土地区画整理事業においては、原則として零細敷地も換地を行う必要があること(公共団体施行においては、準防火地域及び防火地域指定内の場合は過小宅地基準65m2以上)。防災街区整備事業では、土地への権利変換(個別利用区)は敷地面積100m2以上が条件となっています。
土地区画整理事業をベースとする場合は、零細敷地の換地対応が課題で、防災街区整備事業の場合は、たとえば各市が指導要網等により定めている敷地面積(例・65m2以上)を満足する接地型住宅希望の地権者への、士地権利変換〈個別利用区〉が困難です。
したがって、地区の特性(敷地規模分布特性等)により、土地区画整理事業をベースとするか、防災街区整備事業をベースとするか等の選択とともに、いずれにしても零細地権者の共同化等による住宅再建の推進方策の充実が不可欠になります。

2. 零細敷地の建築面積の確保
 {建ぺい率許可制度(建築基準法第53条第4項)}
 野田地区においては、都市計画の「防火地域指定」(構造制限による+10%緩和)と「建築基準法の角地適用」による+10%緩和(2方向道路敷地面積200m2未満)及び、角地適用が可能となるように連棟建街区に集約した換地計画の工夫により、最大+20%の緩和が可能になりました。「建ぺい率許可制度」は、準耐火もしくは耐火建築物を条件とし、敷地の背割りに壁面線指定もしくは壁面の位置の制限を行い、3階もしくは2階の隣地からの外壁後退等により、+10%もしくは+20%の建ぺい率緩和を可能とする制度です。
 野田地区の特殊条件として、避難路及び一次避難地の安全性確保の点から防火地域指定が成立しましたが、都市計画上の防火地域指定等が合理的でない地区においては、建ペい率許可制度と換地計画を上手く組合わすことにより対処が可能です。また(2方向道路敷地面積200m2未満)による角地緩和を街区全体に適用するには「連棟建」とならざるを得ませんが、許可制度の場合は、「戸建街区」ヘの対応も可能です。

文 中西義和

きれいに公園も整備されました
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